【アラベスク】メニューへ戻る 第4章【男ゴコロ】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)

前のお話へ戻る 次のお話へ進む







【アラベスク】  第4章 男ゴコロ



第3節 父と息子 [2]




 ノックの音は聞こえている。だが、反応はしたくない。
 ()()り返るようにダラリと足を伸ばしたまま、瑠駆真(るくま)は無視を決め込んだ。
 だが相手は、そんな態度をある程度予想していたのかもしれない。
 大して待ちもせず、さっさと鍵を開けて入ってくる。そうして、その横暴とも言える態度に、眉を潜める。
「返事くらいしてちょうだい」
「返事もしてないのに、入ってくるなよ。それとも――――」
 大儀そうに身を捩じらせる。
「それがラテフィル流の礼儀なのか?」
 嫌味を込めた視線に、メリエムが大口を開けた。だがそれを、背後のミシュアルが素早く制する。
 トンッと肩を叩かれて、不満そうに口を閉じる。
 思わず浮かぶ、醜悪な笑み。決して美鶴の前では見せない顔。
 そんな瑠駆真へ向かって、ミシュアルはゆっくりと歩み寄る。
 彫りの深い顔立ちに、濃く太い眉。固めの黒い巻き髪。浅黒い肌。
 だが、来ている服は薄いグレーのYシャツに濃紺のスーツ。別にカーフィアを被っているワケでもない。
 一見すると、中東系のビジネスマン。その身分がどのようなものかなど、垣間見ることもできない。
 実際ミシュアルは、ビジネスで日本に来た。
 ラテフィルとはあまり親交のない日本において、その身分などあまり意味はない。
「久しぶりだな」
 親しげな父にも懶惰(らいだ)な態度。相変わらず椅子に背を凭れさせたまま。
 円らな、黒々とした、母と瑠駆真が一番似ていない瞳。
 甘く艶やかな、ミシュアルと瑠駆真が一番似ている瞳の光が、厄介そうに相手を睨む。
「昨日はすまなかった。本当は夕食を一緒に取りたかったのだがな」
「仕事が入ったんだろ?」
 ふんっと鼻で笑う。
「忙しいんだろ? お前の仕事の邪魔をするつもりはない。僕のことなんかほっとけよ」
「冗談を言うな」
 言葉を遮る。
「日本に来たのに、お前に会わずに帰れるワケがないだろう」
「母さんが生きてた時だって、日本に来たことはあるはずだ」
 瑠駆真も負けじと相手を遮る。
「でも会いに来たことはなかった」
 一度だって
 そう強く付け足す言葉に、ミシュアルは思わず視線を落とす。その態度が、瑠駆真をひどく高揚させた。
「無理するなよ。別に義理で会ってもらっても、こっちも嬉しくはない」
「いい加減にしなさいよねっ!」
 我慢できず、ついにメリエムが叫び声をあげた。だが、それもミシュアルに制される。
「ミシュアルッ!」
 雇い主の、あるいは養父の態度に反発するメリエム。だがミシュアルは、強い視線で黒人の美女を制す。
「悪いが」
 強めた視線をすぐに和らげ、できるだけ静かに口を開く。
「少し外してもらえないだろうか?」
 およそ雇い主らしからぬ丁寧な態度。だがその口調には、有無を言わせぬ強い意志を含ませている。
 とても納得のできる状況ではない。だが今のミシュアルには、逆らうことを許さぬ意思がある。
 いくら控えめで心優しいミシュアルであっても、そこはさすが上に立つ身分。それに普段は、世界を飛び回るビジネスマンでもある。
 納得のいかぬ面持ちで、だがメリエムは日本式に頭を軽く下げると、扉の向こうへ姿を消した。
 扉が閉まるのを確認し、ミシュアルは再び瑠駆真へ視線を向ける。
 彼の視線は窓の外へ。
 ミシュアルへ向ける後頭部で、サラリとした髪が、一房揺れる。瑠駆真の母、初子(はつこ)髣髴(ほうふつ)とさせる後姿が、今は殺気すら漂わせている。
「ルクマ」
 だが瑠駆真は微動だにしない。その態度に、ミシュアルは両手をズボンのポケットに入れて表情を緩めた。







あなたが現在お読みになっているのは、第4章【男ゴコロ】第3節【父と息子】です。
前のお話へ戻る 次のお話へ進む

【アラベスク】メニューへ戻る 第4章【男ゴコロ】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)