ノックの音は聞こえている。だが、反応はしたくない。
踏ん反り返るようにダラリと足を伸ばしたまま、瑠駆真は無視を決め込んだ。
だが相手は、そんな態度をある程度予想していたのかもしれない。
大して待ちもせず、さっさと鍵を開けて入ってくる。そうして、その横暴とも言える態度に、眉を潜める。
「返事くらいしてちょうだい」
「返事もしてないのに、入ってくるなよ。それとも――――」
大儀そうに身を捩じらせる。
「それがラテフィル流の礼儀なのか?」
嫌味を込めた視線に、メリエムが大口を開けた。だがそれを、背後のミシュアルが素早く制する。
トンッと肩を叩かれて、不満そうに口を閉じる。
思わず浮かぶ、醜悪な笑み。決して美鶴の前では見せない顔。
そんな瑠駆真へ向かって、ミシュアルはゆっくりと歩み寄る。
彫りの深い顔立ちに、濃く太い眉。固めの黒い巻き髪。浅黒い肌。
だが、来ている服は薄いグレーのYシャツに濃紺のスーツ。別にカーフィアを被っているワケでもない。
一見すると、中東系のビジネスマン。その身分がどのようなものかなど、垣間見ることもできない。
実際ミシュアルは、ビジネスで日本に来た。
ラテフィルとはあまり親交のない日本において、その身分などあまり意味はない。
「久しぶりだな」
親しげな父にも懶惰な態度。相変わらず椅子に背を凭れさせたまま。
円らな、黒々とした、母と瑠駆真が一番似ていない瞳。
甘く艶やかな、ミシュアルと瑠駆真が一番似ている瞳の光が、厄介そうに相手を睨む。
「昨日はすまなかった。本当は夕食を一緒に取りたかったのだがな」
「仕事が入ったんだろ?」
ふんっと鼻で笑う。
「忙しいんだろ? お前の仕事の邪魔をするつもりはない。僕のことなんかほっとけよ」
「冗談を言うな」
言葉を遮る。
「日本に来たのに、お前に会わずに帰れるワケがないだろう」
「母さんが生きてた時だって、日本に来たことはあるはずだ」
瑠駆真も負けじと相手を遮る。
「でも会いに来たことはなかった」
一度だって
そう強く付け足す言葉に、ミシュアルは思わず視線を落とす。その態度が、瑠駆真をひどく高揚させた。
「無理するなよ。別に義理で会ってもらっても、こっちも嬉しくはない」
「いい加減にしなさいよねっ!」
我慢できず、ついにメリエムが叫び声をあげた。だが、それもミシュアルに制される。
「ミシュアルッ!」
雇い主の、あるいは養父の態度に反発するメリエム。だがミシュアルは、強い視線で黒人の美女を制す。
「悪いが」
強めた視線をすぐに和らげ、できるだけ静かに口を開く。
「少し外してもらえないだろうか?」
およそ雇い主らしからぬ丁寧な態度。だがその口調には、有無を言わせぬ強い意志を含ませている。
とても納得のできる状況ではない。だが今のミシュアルには、逆らうことを許さぬ意思がある。
いくら控えめで心優しいミシュアルであっても、そこはさすが上に立つ身分。それに普段は、世界を飛び回るビジネスマンでもある。
納得のいかぬ面持ちで、だがメリエムは日本式に頭を軽く下げると、扉の向こうへ姿を消した。
扉が閉まるのを確認し、ミシュアルは再び瑠駆真へ視線を向ける。
彼の視線は窓の外へ。
ミシュアルへ向ける後頭部で、サラリとした髪が、一房揺れる。瑠駆真の母、初子を髣髴とさせる後姿が、今は殺気すら漂わせている。
「ルクマ」
だが瑠駆真は微動だにしない。その態度に、ミシュアルは両手をズボンのポケットに入れて表情を緩めた。
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